2008年07月15日
川俣晶の縁側過去形 本の虫感想編 total 2924 count

電脳コイル 1~5 (TOKUMA NOVELS Edge) 宮村優子 磯光雄 徳間書店

Written By: 川俣 晶連絡先

1冊目 §

 表現の上手さに舌をまきました。

 しかし、メガネが子供にしか使えない(見えない)という設定は、作品世界のそのものを矮小化したようでイマイチ感がありました。

2冊目 §

 今ひとつ面白くなく、読書ペースが大幅ダウン。

 このあたりで、読むのを中止して、読んでいない分も合わせて売り払う方が賢いか、とまで思いました。

3冊目以降 §

 ところが、3冊目から急に面白くなってきました。

 子供達の心理描写が実に素晴らしく、わくわくドキドキさせられるのです。

 アニメの電脳コイルではあり得なかった、全く違う切り口が提示されています。それは、アニメ版の食い足りない部分を明確に超克していこうある種の意志なのでしょう。

 ここでいうアニメ版の食い足りなさには2つの要素があります。

 1つは、映像メディアは本質的に心理描写が不得手であること(心は目で見えないので映像にならない)。それを克服するために、様々な方法で心を表現しているわけですが、実際にはそういった工夫の多くは、多数派の視聴者からスルーされて届いていない感があります。たとえば、ヤサコは明らかに「見かけ通りの女の子ではない」わけですが、そこまで踏み込んでヤサコの心理を把握できていないファンの感想はいくらでも見つかります。

 もう1つは、構成そのもの煮え切らない部分です。アニメ版の後半の構成はバランスが悪く、やや焦点がぼやけています。

 そして、3冊目以降は明らかにこの2つの要素を乗り越えています。

 最初の問題は、心理描写が得意である小説というジャンルゆえに。

 2つめの問題は、大胆に組み替えられた構成ゆえに。たとえば、アニメ版ではお祭りは果たし合いの申し込みの舞台となりますが、小説版では果たし合いのずっと後に起きる別の出来事となります。そして、メガネ持ち込み禁止という異常イベントと設定することで、状況の異様さ、隠された謎の存在、そして棚上げされた敵対関係から来る子供達の親睦ドラマ、更には自分がイサコと勘違いされていると分かった上で1人で罠に踏み込んでいくヤサコの大胆行動など、アニメ版には存在しない魅力的な要素が盛りだくさんです。

 おそらく、ある種の側面に関しては、小説版はアニメ版を超えていると言って良いと思います。

 いやー、途中でやめないで読み続けて良かった!